2019年11月26日
【英語教育・徒然】「丸パクリしてでも、英語教師として同じ景色を見てみたい」という願望を恥ずかしげもなく晒します
前回の記事で広大附属福山の千菊先生の授業を拝見してきたことを報告しましたが、僕が思った以上に僕の心は衝撃を受けたらしく、週が明けても授業をしていても、頭の中でその授業がフラッシュバックします。
今までも何回か千菊先生の授業を拝見してきて同じように凹んできたつもりですが、「今回なぜこんなにも色々と考えさせられるのか」について考えてみて(ややこしい(笑))、その上でどうしたいかについて書いていきます!
それなりにやってきた自負があるからこそ
教員として働き始めて10年を越え、中1から高3まで一度育て上げ、それなりの結果を出してきた自負があったからこそ、今回の研究授業を見て自身の慢心に気付かされました。
もちろん授業改善は行っています。一年前よりも、先月よりも、昨日よりもよい授業をしようと心がけています。
ですが、今のスタイルのまま仮に一万回授業改善をしていっても辿り着けない領域、それがあの研究授業だったのです。
そこに辿り着くためには授業改善ではなく、授業改革が必要になります。自分が安住できるテリトリーから抜け出て、未開の荒野を歩くわけですから、当然痛みを伴います。
そして、僕にはその覚悟が無かったのです。
それに今回気がつきました。
壁をぶち破 りたい
僕の勤務校はご存知の通り私学なので、学習指導要領の縛りもそんなにきつくないし、先生によっていろんな考え方があります。今までもこういった研究会で刺激を受けたことを話しても、
「コミュニケーションで力つくの?」
「女の子はそういうの好きだから」
「附属の先生は大変だね」
みたいなリアクションしか返ってこず、釈然としない思いを今まで持ってきました。
しかし本当に凄いと思うなら僕がそのスタイルを少しでも真似て、その上で結果を出すしかないと思い至りました。
その一方で、僕が最も苦手としているのはこういったコミュニケーション型の授業でもあります。(だからこそ今までやってこなかったんですが。)
でももしこのハードルを一回でも飛び越すことができたら、指導方法の引き出しとして今後30年は使える財産になると思います。
「私学の常識」の壁、「自分の限界」の壁、そういったものをぶち破りたいと強く思いました。
いつ勝負をかけるか
初戦はもう決めています。この高1の三学期にコミュニケーション力を育成する型の授業を組み込みます。
教科書はGenius Communication Ⅱのレッスンが3つ残っているので、そのうちの一つを使って生徒にやり取りをさせていきます。
そのために冬休みの間に色々と勉強しないといけませんが、最悪間に合わなければ千菊先生の授業を丸パクリしてでもやります。
英語教師として一つ成長する機会だと思うし、そういう授業をした時、あるいはした後に、「授業」というものがどう見えるのかを僕は知りたいのです。
色々と熱く語ってしまった感がありますが、こうやって自分を追い込んでます。
更に言えば、実は研究会の後に千菊先生からメールを頂いて、そこでも「三学期に先生のような授業に挑戦します!」と宣言してしまいました。もう完っ全に退路を断ちました。後ろは断崖絶壁です(笑)
よって、あとは前進するのみ。
2学期の期末試験まできっちり終わらせてから、次に向かいます!