2019年09月10日
【HR】生徒に伝えたい言葉:「人生とは打率ではなく打数だ」~現状維持バイアスから抜け出すために~
最近こんな言葉に出会いました。
「人生とは打率ではなく打数だ」
この言葉は「さとなお」こと佐藤尚之さんがnote.で書かれていたものですが、僕自身への反省も含めて、生徒に伝えたいことがとても多く含まれているように思えます。
具体的には続きをどうぞ!
この言葉の意味するところ
僕たちは得てして「打率」に重きを置く傾向があります。失敗すれば恥ずかしいし、怖いし、当然良いことなんかないわけです。
だから打率をあげるために必要なことは失敗しないこと、もっと言えば失敗しなさそうな選択肢を選ぶことになります。
例えばメジャーリーガーが投げる10球と小学生が投げる10球と、バッターとしてどちらを選ぶかを考えてみて下さい。
メジャーリーガーを選ぶとしたら、「全部空振りかもしれないけど折角なら面白い経験をしたいから」という理由でしょう。
だけど、もし球場いっぱいの四万人が見てる中で…となるとどうでしょうか。仕方がないとはいえ、全球空振りをして恥ずかしそうにバッターボックスから退散する姿を想像すると別の選択肢を取ることも考えないですか?小学生相手ならそこそこ打てるだろうし、格好もつくかな…と。これはつまり、ハードルを一つ下げたわけです。
ですが、ここでさらにもう一つの選択肢、「やらなくてもよい」があったらどうでしょうか。小学生相手とはいえ打てる保証はないし、全球空振りの可能性だってやはりあるわけです。メジャーリーガー相手なら仕方ないと思われるでしょうが、小学生相手だと本当に恥ずかしい。じゃあもうやらなければそんな恥をかくことはない…となります。
これは、ハードルそのものを回避したことになります。
僕たちの人生において、越えなくてもいいハードルはたくさんあります。海外留学とか、難しい資格を取るとか。
失敗を恐れる「打率を意識した人生」は、そういったチャレンジを否定します。
ですが、越えるべきハードルを低くし、越えなくてもいいハードルを取り除いて、仮にそれで打率10割だとしても、果たして後悔のない人生になるのかというと僕は疑問です。
なぜなら人間は「やらなかったこと」に対して強く後悔するからです。
ツイッターでもつぶやきましたが、「公務員になりたい」とある生徒が言った時に感じた失望感にも似た感覚は、その生徒が「打率」を選び、リスクを回避したことに起因しています。
僕が生徒に伝えたいのは、やるかやらないかで迷ったらやるべきだし、AかBかで迷ったら難しいと思う方に進むべきだということです。
なぜなら、大体において迷っているときは「現状維持バイアス」が働いており、常に現状維持の天秤には重りが載っている状態だからです。そのバイアスがかかっていて迷う(釣り合っている)ということは、答えはすでに出ているのです。自身をバイアスから解放するために最初の言葉を思い出してほしいと思います。
「人生とは打率ではなく打数だ」
僕自身も現状維持していればそれなりに 打率は稼げると思いますが、現状に甘えずより多くの打席に立つ機会を狙っていきます!