2019年06月30日
【教育哲学】科学的に正しいアイデアに基づいて指導するメリットと、それが現実に行われにくい理由
今日で6月も終わりますね。期末試験まであと一息ですが、 僕の今学期の授業準備は全て終了して、あとは生徒が協同学習と能動学習を通して自分たちで勉強していくスタイルの授業なので 、期末試験作りや夏休みの課題に関して動き始めているところです。
さてこの能動学習が大切だということは教員なら誰でもわかると思います。人からやらされる受け身の勉強ではなく自分から意欲的に取り組む勉強の方が身になるということは誰もが分かっているはずなのですが、それを授業に持ち込むと途端にアレルギーを起こす人がいる、というのが僕の印象です。
能動学習に限らず、科学的に正しい勉強法はたくさんありますが、メンタリストのDaiGoさんは「学校や塾で教育のプロとされる人達が間違った勉強法を教えているから正しい知識が広まらない」とよく言われています。
今回は、そういった正しい知識に基づいて指導するメリットと、なぜそれが行われないのかということについて話をします。
科学的に正しいアイデアに基づいて指導するときの最大のメリットがこちら。
授業のフィードバッ クが正確だから、改善が早い
このことを説明するために、以下の式を見て下さい。
x(授業アイデア)×y(具体的な指導法)×z生徒の取り組み=狙って出せる結果
(ただし、0≦y≦1、0≦z≦1)
上の式は僕が考えたものですが、つまりここで言いたいのは、授業アイデア以上の結果は狙って出せないということです。
授業アイデアがどれだけ優れていても、具体的な指導法を誤ったり、生徒が不真面目に取り組めば、結果はゼロになります。
それどころかアイデアが間違っていてマイナスだと、生徒が一生懸命取り組んだ結果「やらない方がマシだった」ということもあり得ます。具体的に言うと以下。
x「授業アイデア」…「見たことも聞いたこともない単語でもひたすら書き写せば力がつく」(?)
y「具体的な指導法」…「新出単語を授業開始の10分でひたすら視て写す」
z「生徒の取り組み」…「すごく真面目に取り組んだ」
=「結果」…「ほとんど力がつかないどころか、結果として生徒が非効率的な学習法を学習してしまった」
以上のように、授業アイデアが間違っていたら生徒の真面目さがかえって仇になりえます。
さて、ではある授業アイデアに則って指導して結果が出なかったとき、授業アイデアそのものが「本当に力がつくか分からない」なら、変数が多すぎて何から改善すればいいか分かりません。
しかし、授業アイデアが科学的に正しいのに結果が出なければ、問題があるのは「具体的な指導法」か「生徒の取り組み」のどちらか(もしくは両方)です。生徒の取り組みは大体見れば分かるので、指導法に改善の余地があるという結論に達するのは容易だし、アイデアそのものは間違っていないので改善案が見つけやすいです。
だから、科学的に正しい勉強法を知っている教員は「意味のある」経験値を積んでどんどんレベルが上がっていきます。
ではなぜこういう当たり前に勉強されるべき知識が日常でフォーカスされないのでしょうか。
それは教員自身が「成功した学習者」だからです。教員は「自分のようにやれば生徒はできるようになる」と(多かれ少なかれ)思っています。だから科学的に正しいとか考えなくても授業アイデアは持っているし、それに基づいた指導をすれば授業は成り立ちます。
ですが、自身の体験だけに基づいた指導は危険です。元々言語習得の素養や適性がある人は多少非合理的な学習法でも結果として何とかなってしまうので、教室でそのまま教えても同程度以上に素質のある生徒じゃないと伸びない可能性があります。だから、教員の体験談なんてものはあくまで「サンプル数1」だということを日常から意識しておくべきです。
蛇足ですが、「東大生の勉強法」みたいなのも結構目にしますが、同じ理由で眉唾です。その勉強やったから東大に行ったんじゃなくて、東大行ける力を持った人がたそういう勉強法をしてただけでしょ、と思います。
教育のプロである僕たちはそういった「サンプル数1」の体験談に流されず、常にアップデートされる学びの常識に遅れずついていけるようにしたいものです。