【徒然】2019年 センター試験英語を解いてみた雑感【徒然】中学入試で算数の採点をして思ったこと

2019年01月26日

【HR】メディアリテラシーについて僕が語ったこと

僕の学校では校長先生が週に一回話を全校生徒の前でします。

今週はメディアリテラシーを身に付けようという話でしたが、僕は生徒と一緒に誰かの話を聞いたときには、その話を僕の視点から再構築して話すようにしています。(日本語で)

今回は「メディアリテラシーを身に付けよう
」という観点ではなく、「要は情報を鵜呑みにしないということだけど、なんでこんな簡単そうなことが出来ないのか」について論じてみました。



【ここからは生徒への語りかけ】
今日はメディアリテラシーの話がありましたが、「ある情報が正しいかどうかを身か極める」「デマを拡散しない」というのはどちらも当たり前の話だと思いませんか?
でも、その当たり前ができないから、「メディアリテラシー」なんて大仰な言葉を作って皆さんに注意喚起をしているわけです。
校長先生の話を聞きながらなぜできないのかを考えてみましたが、2つの理由を考え付きました。


1.人は信じたいものを信じる動物だから

例えば、クラスメートが職員室から帰ってきて「明日の自学ノートなしだって」と言ったとき、どんなリアクションをしますか?
多分半分喜びながら「マジで?」と聞くでしょう。
しかし、もし「明日の自学ノート倍の4ページだって」と言われたら、「嘘だろ!」と言うはずです。

どちらも差は2ページでプラスかマイナスかの違いだけなのに、前者は肯定的、後者は否定的な問い返しになるのは、「自分にとって都合の良いことは信じたい」というフィルターが働いているからです。

他にも、例えば二人の先輩がいて、一人は「中学生のうちから勉強しといた方がいい」と言い、もう一人が「勉強は高3からで大丈夫」と言ったとき、どちらの言葉を信じたいかを考えてみても同じ結果になるでしょうね。


2. 面白い情報は拡散したい

自分に直接関係がなくても予想しないような面白いニュースを知ったら、それを自分が拡散することで「いいね」がたくさんもらえます。

だけど大抵の事実は想定の範囲内だったり、すでにプロが拡散してる情報です。だから、まだ誰も語っていない、ここだけの話で面白いフェイクニュースに飛び付いてしまいます。
それが例えば「地震でピサの斜塔が倒れた」というニュースで、検索すれば分かりそうなのに、本当だったら面白いから1と同じ理由(「信じたいものを信じる」)で精査も吟味もしないままリツイートしたりしてしまうのです。

だから、やっぱり「メディアリテラシー」という言葉は人間が人間である以上、一種の規範として確かに必要なのです。

…以上が僕が語ったことです。もっと詳しい人から見たら穴があるかもしれませんが、少なくとも僕の生徒たちは理解してくれたようです。

Twitterによって、僕たちは「情報の受信者」から一気に「情報の発信者」になりました。マスメディアがプロとして情報発信するのと同列に、あるいはそれ以上に価値がある可能性があります。(3.11のpray for Japanのように。)
「マスコミ」というプロに対してポジショントークだ何だと揶揄される時代だからこそ、我々「アマチュア」の持つ責任は重いですね。このブログを書くときも気をつけたいです。


burwonderwall at 05:52│Comments(0)HR | 徒然(日常)

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