2016年 新年のご挨拶『反転授業』

2016年01月09日

守破離

私事ですが、本日(1月9日)をもって31歳になりました。

三十代になって最初の一年が過ぎたわけですが、

先日愕然としたことがありました。


昨年の11月に、僕が大学生の時に教育実習で指導教官として

2週間指導してくださった先生(僕の中では「師匠」と呼んでます)が

勤務されている学校で公開授業研究会があり、大学時代の同期と一緒に

参観してきました。


その授業では、帯学習について一石を投じる授業でした。

帯学習というルーティーンを活かして淀みなく次から次へと課題を与えていき、

参観している僕にとってもあっという間の50分でした。

生徒にとっては尚更あっという間の時間だったようで、

授業後に生徒がそのまま机について作業をし続けている、

なんていう姿を研究授業で初めて見ました。

今回の師匠の授業は、見学に来ていた多くの先生に

パラダイムシフトをもたらしたことは間違いありません。


その後の分科会で、ある先生が尋ねました。

「今日のような授業は、どんな生徒に対しても効果があるとお考えですか?」

師、答えて曰く、

「それはわかりません。

私は、私の生徒に対して、考えられる最善の授業をしているだけですから。

それぞれの先生方が、受け持ちの生徒に対して独自に考えないといけない

部分はあると思います。」


まさにその通りだと思いました。

学ぶことは達人の模倣から始まるわけですが、

一人一人の特性は当然異なるので、いくら上手に真似しても

そこにあるのは「劣化版コピー」に過ぎません。


達人の教えを「守」り、

どこかの段階で、達人の型を「破」って抜け出し、

最終的にその達人の型から(表面的には)「離」れていく。

剣道ではこれを「守破離(しゅはり)」と呼びますが、

英語教育でも同じことです。


師匠の授業を見てフレームワークとして素晴らしいと思いますが、

日々の授業という具体におとしたときに、多くの疑問や課題があります。


例えば、

「発表にあたっている生徒が休んだ場合、そのグループはどうするのか」

「グループ内ディベートのテーマはどの程度の期間で新しいものに変えるのか」

「本時のような帯学習は、何年生から始めて、何年生まで続けるつもりなのか」

「すごく優秀な生徒が課題を早く終わらせてしまう場合どうするのか」……etc.


それらを「フレームワークの欠陥」としてみなすのではなく、

「個人に与えられた課題」としてみなします。

その個別の課題を乗り越えることこそが「破」であり、

それを乗り越えたとき、そのフレームワークの深層を流れる信念が理解できます。

そうなると、もはやそのフレームワークにこだわる必要はなくなります。(「離」)

同じ信念をもってすれば、表面に現れる型はどうでもよいのです。

この繰り返しによってのみ、教員としての力量が鍛えられると僕は思います。

(当たり前のことを書いてすみません。僕は論理的に文字化して残しておかないと

結論だけが残ってしまって、結論が同じでも説明理由が変わってしまうので、

備忘録として書いています。)


きっと師匠も色々な模倣から始まり、あくなき探究によってご自身の型を

練り上げていかれたのだと思います。


そんな師匠ですが、今はまだ40歳手前で、

師匠が大学時代の僕を指導してくださったときが、

ちょうど今の僕の年齢(30歳)だったことに、その研究会で気が付きました。


今の僕と当時の師匠の指導力を比べること自体がおこがましいのですが、

このままだとただの「憧れの存在」で終わってしまうので、

師匠に追いつき、そして追い越せるように、

「守破離」の精神で、まずはこの一年を過ごしたいと思います。


burwonderwall at 02:39│Comments(0)

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